初めまして、ポコたくと申します。先日(8/14)、舞台「ハリーポッターと呪いの子」を見に行きました!!
幼い頃から待ち望んでいた魔法ワールドが広がってた……。
早速感想!!!といきたいところですが、まずは僕のハリポタ歴をまとめておきたいと思います。
- 映画全視聴済み(特に炎のゴブレットのワクワク感といったら)
- 小説版全読破済み(日本語版、台詞をだいたい覚えているレベル)
- ハリポタ展2回体験
- イギリス旅行で聖地巡礼の経験あり
- 観劇ほぼ初めて
という感じで、ハリポタは大ファンだけど劇を見た経験はあまりないといった感じです。そのため、劇そのものへの感動も大きかったので、そちらに関してもまとめたいと思います。
⇩このページからS席を安めに買えたので貼っておきます
また、あらすじやシナリオの解説は行わないものの、ここから先は舞台のネタバレを多く含みます。未観劇の方は注意してください。
舞台の脚本⇩
脚本を読んでから観劇したほうが魔法ワールドに没入できると思う。
親子愛に重点の置かれたシナリオ
ハリーポッター原作で描かれていたリリーからハリーへ、スネイプからリリーへの愛と同じく本舞台でも「愛」がテーマになっている。
特に親子愛が重視されていて、(1)大人になったハリーとその息子アルバス、(2)エイモス・ディゴリーとセドリック・ディゴリー、(3)ヴォルデモート(本劇ではヴォルデモーと呼称されていた)とその娘オーグリーの三組の親子にスポットが当たっている。
それぞれ違った角度から描かれていて、父親になること、もっと言うと大人になることの大変さを感じることが出来た。僕は今20代前半で大人へ差し掛かる時期ということもあり、大人とは何かを考える機会になった。
ハリーとアルバス
英雄の息子であるというプレッシャーを感じているアルバスと、実の父親が居なくて子育ての方法を見失っているハリーが少しづつお互いを理解しようとする歩み寄りの物語だった。
ハリーは魔法界を救った英雄であり、その愛が全世界に対して向けられていると周囲の人は考えているが、実際は単なる一人の男で家族に対して愛情をしっかり持っている。しかし、それを表に出さないためアルバスは自身に向けられた愛情を感じることが出来なかった。
親子と言っても結局は他人同士であり、思っていることは言葉にしないと伝わらない。愛を伝えることの重要性を感じた。
エイモスとセドリック
4巻「ハリーポッターと炎のゴブレット」における三大魔法学校対抗試合でホグワーツ代表としてハリーと共に戦ったセドリックと、その父エイモスに物語のスポットライトが当たった。
エイモスは、ヴォルデモート復活の儀式に不必要なセドリックが殺されたことを20年経っても悔しく思っていて、ハリーに対して恨み節をこぼす。
死者に対する歪な思いが発露した結果だが、このエイモスの思いの強さ(=愛の強さ)がアルバスを動かす原動力になったのだろう。
ヴォルデモートとオーグリー
ヴォルデモートとベラトリックスの間に生まれたオーグリーは父親を復活させるため、アルバスたちを操りリリーとジェームズが殺された日に戻った。
ヴォルデモートの代わりにオーグリーがハリーを殺すことで予言を破壊するのが目的だと思っていたが、オーグリーの目的はヴォルデモートを止めることであり、その根底には父親に一度でいいから会いたいという意思が流れていたのだろう。
また、悪に染まる要因が「孤独」であるという説明がされていて、確かになと感じた。
魔法としか思えない演出
マジックやパントマイムの要素が多く盛り込まれていて、目を凝らしていてもタネのわからない魔法のような演出が目白押しだった。
例えばポリジュース薬での変身。役者の体が目の前で変わっていったが、一体どうなっているのだろう。
また、湖のシーンでは気づいたらステージ上に水があった。不思議。
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